「egoismを排する日常行動」 (1)

私の拙きブログを読んでくださる人がおられることに感謝します。このブログを読む人がゼロに等しいのではないかと思いながら、日々の出来事などを日記に記す感覚で残しておりました。一人でもおられたことに嬉しく思います。有難うございます。今後は遠慮なさらずにコメント欄にコメントを残して頂ければと思います。

egoismとは、我執のことですね。我に囚われる。これは人間のみならず生きとし生きるものの根本的本能だと思います。私もegoismの塊のような人間です。自分が最も大切である。自分の家族が最も大切である。また、自分の寺が一番大切である。この自分の寺を今後どのように残し発展させていこうかと必死で考えて実践してきました。

私が住職になったのは、平成5年でした。35歳でした。その当時は住職の資格を持っているだけで何も法務は出来ない人間でした。平成元年にサラリーマンから寺に養子に入り住職の資格を取得したのですが、住職の資格を取得しても先代の住職が法務をさせてくれなかった。やはり住職といえども代替わりをしたくなかったのでしょうね。自分の地位を譲りたくないのが人間です。

平成5年に先代の住職が急逝し、私が急に住職の職についても、いきなり法務をしろと言われても出来ない。檀家さんから怒られ、葬儀社の葬儀担当者からはバカにされたような扱いを受けて苦労をしました。しかし、当時は法事も葬儀も殆どないような寺でした。近所のお寺のご住職が私のことを心配してくれて、法務のイロハを伝授して下さいました。必死に仏教の勉強もし、実務をそのご住職から学びとり頑張りました。が、法事もなければ葬儀もない寺です。毎日が日曜日です。この状態で寺の将来はどうなるのかを憂いました。自分は住職として、金蔵寺をどのように発展させていけば良いのか?egoismの塊である私は、悩み苦しみました。先代の住職の口癖も繰り返し心の中で反芻しました。

「檀家さんからは、寄付金を請求してはならん。

         檀家さんにも生活があるのだから、、、。」

つづく

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2 Responses to 「egoismを排する日常行動」 (1)

  1. 報恩謝徳 says:

    毎日(できるだけですが・・・)アクセスさせていただいております。
    ご住職には、共感できるところが多々ございます。これからも更新よろしくお願いいたします。

  2. 有難うございます。励みになります。自分を飾らずに、正直にブログを綴っていきたいと心がけています。感謝です。

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